日本社会で生じる様々な事件、事故、トラブル、話題について、古き善き日本の情緒を愛する一人として考察するところをコメントしたいと思います。
人類が目指すべき方向は?
世事雑感の更新は久し振りである。コラムというものは、本当に書きたいテーマが心に湧き上がって来なければ一文字も筆が動かないものである。今回は実に約3ヶ月振りの更新になった訳であるが、何故こうなってしまったかと思うに、世の中に問題を感じなかったからではない、むしろ問題だらけであるが、多くの問題を起こしている根本的な問題点を私自身なかなか見付けられなかったからなのだと振り返っている。

最近漸く問題点がおぼろげながら姿を見せ始めたような気がしている。それは、共産主義社会の崩壊に続いて、資本主義社会も行き詰まりつつあるのではないかと言うことである。19世紀から20世紀半ばに仏教者として世界レベルで活躍した鈴木大拙師が、「共産主義も資本主義もいずれはこの世から消え、そんな主義があったかなぁーと言うことになろうが、仏教とキリスト教だけは人類と共に存在し続けるだろう」と言われたことがある。

鈴木大拙師の予告通り、師が亡くなられた23年後にベルリンの壁が崩壊し、そしてソ連共産主義社会の崩壊と続いたのであったが、今度はいよいよ資本主義社会の崩壊が現実のものになるのではないか。そう思わせるのは、イラク戦争を仕掛け、今なお終戦処理が出来ないアメリカのリーダーシップが神通力を失ったように思えることに加えて、資本主義社会と言うものが私たちに幸せな、安らかな生活を与えるものではないのではないかと思わせる日本の現状、そして地球温暖化を含めた世界の現状があるからである。

日本について言えば、昭和30年以降に高度成長し始め、色々な電化製品が発明され、通信手段も、交通手段も目覚しく進化して生活は格段に便利になったが、世の中全体の幸せ感はむしろ減退したのではないかと思う。私は昭和20年生まれの63歳であるからその生き証人だと思っている。

テレビが世の中に出始めたのは私が小学校の4年生頃であり、小学校の校庭にプロレスのテレビ放映を見に行ったことを記憶している。私の家がテレビを購入したのは、私が高校3年生の時、姉達の強い希望によるものであった。電気冷蔵庫も、ほぼ同じ時期ではなかったかと思う。小学校高学年の頃はアイスボックスと言うものがあって、毎朝、氷屋さんが氷を配達してくれて、アイスボックスに氷を入れたのが冷蔵庫であった。幼稚園の頃は、アイスボックスも無かったが、どうしていたのだろうか・・・。

自家用車が珍しくなくなったのは、私が大学生になってからである。お金持ちの友達に車に乗せて貰ったのを覚えている。その頃、自家用車を持っているのは極々お金持ちだけであり、一家に2台の時代が来るなんてことは想像も出来なかった。

また、私が大学を卒業して入社した頃は、職場に冷暖房機器は無かった。夏はうちわを片手に、汗が報告書を濡らさないように、新聞紙を当て紙にして書いたものである。熊本の職場と東京本社との通信手段は電話か郵便のみ。FAXもメールも無く相当の距離感があり、のんびりとした仕事の進み方であったと思う。

上述の如く、世の中は便利になった。しかしそれで私たちに余裕が生まれたことはない。いよいよ気ぜわしく、落ち着きの無い生活になっているように思う。携帯電話、携帯メールが拍車を掛けているといえるだろう。このまま進むと、私たちの人生から余裕と言う時間がなくなってしまい、ストレスからの精神疾患、或いは衝動的な犯罪が増え、やがて人類は滅亡に至る可能性すら懸念される。資本主義社会を無批判に信奉し続けることを止め、本当に安らかな社会とはどんな社会かを考え直す時に来ているのだと思う。

折りしも、中国製冷凍食品に依る中毒が大問題になっている。食生活も私の幼い頃から比べると、格段に贅沢になっていると思う。私の小学生の頃は、カレーライスが誕生会のメイン料理であった。すき焼きなんて、1ヶ月に1回も無かった。夕食のオカズも、1品か2品であった。これからは、少々食の質を落とし、贅沢度を下げて、食の自給度を増した方がよいのではないかと思う。

急には生活の質を落とす訳にはいかないけれど、衣食住すべてに亘って、ある程度昭和30年頃の慎ましやかさを取り戻すべきではないかと思うのだが・・・。
テロ特措法問題の解決と拉致問題解決の関係
風が吹けば桶屋が儲かると言う喩え話よりももっと因果関係が明確ではないかと思うのが、日本がもしインド洋上での自衛隊による給油活動を続けることが出来なかったとしたら、拉致問題の解決は夢と消え去るに違いないと言うことである。

つまり、もし日本のインド洋上での給油活動を再開の見通しが無いまま中止(今や一旦中断せざるを得なくなってはいる)するに至れば、アメリカは迷うことなく(日本の思惑を気に掛けること無く)北朝鮮に対する『テロ支援国家』と言う指定を解除するだろうと言うことである。

今の六カ国協議の合意内容から憶測すると、上述の日本の給油活動がどうあれ、アメリカは北朝鮮に対する『テロ支援国家』指定を外すかも知れない。しかし、これは飽くまでも私の感覚ではあるのだが、もしもアメリカがその様な決断をすれば、日本国民の琴線に触れ、過日の沖縄11万人の人々が集まった如く、日本国民の大半はアメリカとの決別をアピールし出すに違いないと思うのである。

それだけに、私は参議員議院で多数を占める野党第一党の民主党が本当に自民党以上に国民の安全と安心を実現しようとする意思と具体策を持っているかどうかが、この数ヶ月で明らかになると思っているところである。

私は自民党支持者ではないし、ましてや民主党支持者でもない。そして民主党が政権担当能力を持っているとは思っていない。今の民主党からもし小沢氏が抜ければ、全く異なる政党になるに違いないと思っている。そして更に、小沢氏がテロ特措法の継続に反対する理由にも、疑問がある。小沢氏は国連決議が無い自衛隊の活動は違憲だと言っているが、それでは、国連決議があればどのような事態の時にも、自衛隊は所謂軍事行動も行うのかと言う疑問を投げつけたい。

日本は所詮アメリカと離れてこれからの数十年を生きて行くのはかなり難しいかも知れない位に、経済も安全保障もアメリカ依存度は限りなく100%に近いと思うのである。小沢氏はそんな事は先刻ご承知であり、それ故に小沢氏は政権を取れる可能性が無いことから、パフォーマンスで、テロ特措法絶対反対の立場を堅持しているだけの事だと私は見ている。

いずれにしても、民意は怖い。アメリカが核の脅威と引き換えに、日本の拉致被害者及び家族を見捨てて、北朝鮮に対する『テロ支援国家』指定解除に踏み切ることだけは避けて欲しいと思っているところである。
安倍さんの首相辞任に思うこと
随分久し振りの『世事雑感』となってしまいました。前回は参議院選挙で自民党が惨敗した事に関して、民意取り違えているのではないかと提言しました。その惨敗の原因は大臣が政治資金処理の不始末で自殺したり辞任した事への審判ではなかったのではないかと言うのが無相庵の見解でした。

今も、自民党の敗因は小泉改革で痛みを蒙った私たち一般庶民と地方の人々の批判票が民主党に一時的に流れただけの事だったと私は思っています。それはさておき、臨時国会が召集された9月10日(月曜日)に所信表明演説をした安倍首相が、翌々日の12日(水曜日)に自民党本部に辞意を漏らし、午後2時には辞任表明の記者会見をしました。所信表明の二日後、国会で各党からの代表質問を受ける直前の辞任表明には、前代未聞、敵前逃亡と言う批判の声が上がりました。タイミングは極めて不適切だったと私も思いますし、安倍さん流に言えば、「美しくない引き際」だと云うところではないかと思います。

そして昨日、安倍首相は今日の首相辞任を前に入院先の慶応病院でお詫び会見をされました。お顔には生気が無く、痩せられており、恐らくは最後の気力と体力を振り絞って臨まれたのだ思います。私には痛々しさだけが印象に残りましたが、テレビ各局のコメンテーター達は、口を揃えて、「キチンと、国民に謝罪していない」とか「一国の首相として情けない」と、倒れたボクサーを更に打ち続けるようなコメントに、私は惻隠の情を失った日本の風潮に不愉快さと情けなさを禁じえませんでした。

安倍さんは、幼稚園から大学まで受験無しの私立一貫校を経て、大企業の神戸製鋼のサラリーマンとしては短期間勤務した後に政界入りし、お金の苦労も人間関係の苦労も、また挫折感を経験することなく、日本のトップを勤めることになった訳であります。そう言う経歴故に庶民の苦労・苦悩などは分かっているはずがありません。そう言う無菌培養された人だったが故に、教育基本法の改訂、国民投票法の制定、防衛庁から防衛省への昇格等を数の論理で強行突破出来たのだと思います。

しかし、今回の挫折によって安倍さんが失ったものも大きいけれど、また学び得たものも同じ位に大きいと思います。今回の経験を生かして、安倍さん自身が言われていた『再チャレンジ』にチャレンジして国民に範をたれて欲しい、と私は心から願っています。
民意を読み違えてはいないか?
参院選敗北後の安倍首相や自民党有力議員の言動を見ていると、選挙で示した国民の意思を取り違えているのではないかと昨今の政治家の当事者能力の低下を強く感じている次第である。

赤城大臣の存在そのものや政治資金改正の中途半端さが敗因の一つ?大臣の相次ぐ失言が敗因の一つ?そう言う短絡的理由から自民党に投票しなかった人々も居るかも知れないが、真の敗因は、自由競争を善しとし、金融機関や大企業の景気回復を優先し、庶民に増税や医療費負担増を押し付けて来た小泉・安倍内閣の政治姿勢にある事に気付くべきである。

この私の意見を代弁してくれる新聞記事があった。東大大学院教授の神野直彦氏の下記の論評である。
『選挙結果を見ると、底流に小泉内閣以来の構造改革路線の評価があった。それを継承した安倍晋三首相の成長路線に対して国民が「ノー」と言ったのが大きい』

氏は論評の結語として、次の様に述べている。
「財政再建は至上命令ではない。重要なのは、財政赤字をもたらしている背後にある、経済危機や社会的な危機を乗り越える手だてを尽くすことにある。グローバル化が起こす負の側面、つまり市場経済の負の側面に対応するのが公共部門の役目であり、そこに財政の存在意義があるからだ」。
これは、「2010年にはプライマリーバランス(収入と支出の差)を黒字にする」として財政再建を『錦の御旗』にしている小泉・安倍自民党内閣の目的と手段を取り違えている姿勢に対する批判であろう。

反省すべきは反省すると云うならば、安倍首相はこう云う冷静な声に耳を傾けるべきだと思う。安倍首相誕生時には国民の多くも好感を持って支持した。それは、彼の『北朝鮮による拉致被害者とその家族に対する優しさ』に共感を持ったと云う面が大きかったのだと思う。しかし、その拉致問題が全く進展しそうに無い今となっては、これまで彼が取って来た拉致への対応振りは、単に人気を得るためのパフォーマンスでしか無かったとさえ思わざるを得ない。

北朝鮮は扱い難い国であることは分かるが、拉致解決への日々の努力を安倍内閣が行っているようには国民に見えていない。弱者に対する優しさを示す象徴としても拉致問題解決に必死さを示しつつ、一方で、小泉改革路線を思い切って転換することがこの度の選挙で示された民意を読み取ったことになるのだと私は思っている。
イチローが大リーグオールスターでMVP
日本国内では碌なニュースは無いが、遥か離れたアメリカで、またまたイチロー選手が快挙である。
1チーム(大リーグは全30チーム)から平均的には2名しか選ばれないオールスター戦で、勝利に最も貢献した選手であるMVPに選ばれたのだから、云わば、大リーガーの頂点に達したと云っても良く、恐らく今後二度とは無いと云ってもよい位の凄い出来事である。

彼は昨年のWBCでは日本チームの中心選手としてチームを世界一にのし上げたし、大リーグ記録を次々と更新している選手であるが、彼が何故そこまでに至ったかは、打撃技術を完璧に究めたいと言う学問の世界の学者的立場で野球に取り組んでいるからだと思う。

一昨年だったと思うが、彼はスランプを乗り越えるのに、「精神のあり方ではなく、打撃技術の進化に依って乗り越えたい」と言うコメントをしていたが、スポーツの種類は違うが同じくスポーツをしていた者にとっては、かなり衝撃的なコメントであったので心に強く残っている。何回と無く経験したスランプ毎にもがき苦しみ試行錯誤の結果として行き着いた結論なのであろうと思うが、一般的なクレーム脱出方法は、気持ちの持って行き様だと言うことになっている事を思うと、やはり、イチローの打撃技術に賭ける想いが分かるような気がしたものである。

何かと問題の多い日本の現状ではあるが、日本の政治家も役人も、そして国民一人一人も、イチロー選手のプロ意識に学んで能力を精一杯発揮すれば、安倍総理の云う美しい日本が見えて来るのではないか・・・そんな事を思わずには居られなかったイチロー選手の快挙であった。