日本社会で生じる様々な事件、事故、トラブル、話題について、古き善き日本の情緒を愛する一人として考察するところをコメントしたいと思います。
惻隠の情
『惻隠(そくいん)の情』なんて久しく聞かなかった言葉だと思う。恐らく30代、40代の人々は初めて聞く言葉かもしれないが、日本人として生まれたからには遺伝子的に持っている資質だと思うので、今からでも自らの心から掘り起こして、人生観の柱に仕立て上げて欲しいと思う。この『惻隠の情』と言う言葉も藤原正彦氏が『国家の品格』と言う著書の中で、武士道精神の中核的情緒としているものである。
『惻隠』は広辞苑では「いたわしく思うこと、あわれみ」とある。藤原氏は「他人の不幸への敏感さ」「敗者、弱者への共感、同情」と説明されている。現代の日本の政治が失っている感情である。日本社会が失ったものは、惻隠の情だけではない、卑怯(ひきょう)を恥じると言う精神など古き善き日本の情緒を失って久しい。
昨年の衆議院選挙での小泉与党の取った戦略は、惻隠の情とは全くかけ離れたものであったし、堀江社長を我が息子として応援したことに対する恥を知る姿勢からは程遠いものがある。勿論、堀江社長の卑怯さも許せないことは勿論である。
考えてみれば藤原氏だけではなく、50代以上の日本男子は、卑怯はいけない、卑怯は男子の恥だと家庭でも学校でも地域社会からも教育されていたように思う。しかし団塊ジュニアが成長する頃は、経済高度成長期であり、既にお金が全てと言う日本に変貌しつつあったため、日本の大切な情緒などは見捨てられ、国民の殆どが財産形成に走り出してしまったのだと思う。そして法律に触れなければ、時間外取引で株の買占めをし、粉飾決算も恥としない堀江容疑者が誕生したのだと思う。
言葉巧みに卑怯な方法を正当化すると言うのが今の日本の政治家に求められている資質のような気がして、あらためて日本の将来に寒々としたものを感じている。しかし、日本の伝統がここ60年位の短期間で根こそぎ失われるはずは無いし、失ってはならない。これは今の50歳代以上の責任だと思う。ささやかながら役に立ちたいと思う。