日本社会で生じる様々な事件、事故、トラブル、話題について、古き善き日本の情緒を愛する一人として考察するところをコメントしたいと思います。
イージス艦の事故の問題点
イージス艦に衝突された漁船が沈没し、親子お二人の漁師さんが行方不明のままである。人命救助が第一だったはずだが、衝突直後の自衛隊員達の救助活動はどうだったのかがとても気になる。それが問題点の一つであるが、もう一つの問題点は真因の究明に対する当該イージス艦自衛隊、防衛省、並びに政府の姿勢である。

連絡の遅さなどは、当面の重要問題ではない。事故の状況から、間違いなくイージス艦の前方不注意に依って起きたことは間違いないのであるから、どうして前方に注意を払っていなかったかを、大臣が現場に急行し、事故当時その任務に携わっていた隊員から直接聞き取り調査すべきであった。この際一番大切なのが、自衛隊員達に原因の隠蔽工作をさせないことにあるのは、20年前の潜水艦なだしおの事故の教訓から学んでいるはずではないか。

それはそれとして、このような事故にせよ、それから一般の企業で発生するクレームの中で問題だと思うのは、真因とその再発防止策案の真実性である。私の経験から言うと、うっかりミス、つまり、決められたルールが守られていなくて発生した事故やクレームの時に、外部に発表する真因と再発防止策はなかなか真実を言えないのが普通なのである。そして厄介なのは、うっかりしていても直ちに事故やクレームに結び付かない事であるが、今回のイージス艦の事故はこれに当て嵌まるだろうと推測している。

きっとイージス艦の見張り隊員たちは緊張感を持って前方に注意を払っていなかったはずである。それも日常常態化していたに違いない。海の上の衝突事故自体滅多にあるものではない上に、大きな船が近付いて来ると漁船の方が危険を回避していたであろうから、前方注意の意識すら無かったに違いないと思われる。

しかし、もしそうだったとしても、真因として「前方注意すべき役割を果たしていませんでした」とはとても言えないであろう。それはその真因に対して説得力のある再発防止策が見当たらないからである。作業怠慢を真因に挙げれば、幹部の、場合に依ってはトップの管理責任が問われる
し、全ての任務の作業姿勢まで疑われることになりかねない上に、再発防止策は、「決められた通り任務を果たすように管理を徹底する」と言うことにしかならない。しかし、管理出来なかったから発生した事故であるから、誰もそれが再発防止になるとは納得しないのである。

非常に難しい問題を孕んでいる故に、殆どの企業では真因をでっち上げるものである。説得力のある再発防止策が立てられる真因を頭の中で捜し求めることに全力を尽くすことになるわけである。おそらく今の海上自衛隊内、防衛省内では、誰の責任にもならない真因の策定と再発防止策案の構築に必死になっていると言っても言い過ぎではないと思う。

私はサラリーマン時代、開発事業の製造技術を担当していた関係で、この種のうっかりミスによるクレームに悩まされたものである。正直に真因を出して、その再発防止策を提示したかったが、悉く上司や営業サイドにストップをかけられ続けた。これがサラリーマンを辞めて独立するに至った動機でもあるが、社長になってからはありのまま真因と再発防止策を出すようにして、本当に気持ちよく仕事が出来、しかも客先から特に信用されなくなった訳でもないのである。

原因は、仕事の仕組みにあるし、一つの事故やクレームに対して、トップ(今回の場合は防衛相)にも事故の真因と再発防止策が必要だし、上級管理職にも真因と再発防止策が要る。勿論末端の直接作業者にも真因と再発防止策が要る。本当に事故を撲滅する気があるならば、各階層毎に、真因と再発防止策が絶対に必要なのである。特にうっかりミスに対しては、この決め細やかな真因究明と再発防止策が必要である。

お二人の発見と、このイージス艦事故の行く末を見守りたいと思う。
民意を問えーガソリン暫定税率の是非
ガソリンの暫定税率が自民党案の如く10年間も据え置かれると、10年間で約59兆円もの税金が道路関係工事費用に使用されると云う。59兆円ものお金がどれ程のものか想像も出来ない位の金額であるが、国家予算に迫る金額である事を考えれば、約2年半前の郵政民営化の是非を争点にした総選挙と同格の民意を問うべき総選挙になるのではないかと思う。

私は人生の殆どをそこそこの人口が暮らす街で暮らして来ているので、片田舎や山村・離島に居住して居られる方々の立場に立つことは出来ないので、或いは身勝手な見解かも知れないが、今の日本、道路網整備が最優先・最重要のテーマだとはどうしても思えないのである。

少子高齢化、教育水準の低下、国民の低い幸福度観(世界180カ国の中で90位らしい)、医療問題(産院不足、産科医不足)、非正規雇用者問題(日雇い労働派遣、ニートなど)等、日本で既に顕在化し待った無しの問題にこそ予算を取って解消すべきである事は明らかであろう。

政府も与野党共に必要な道路だけを造ると云うが、どんな道路でも、ある一部の人に取っては必ず必要だと言うことになるだろう。しかし、極論すれば、今まで無くても済んでいたではないかとも言えよう。しかし、老々介護、孤独死、産院不足は、現に問題が顕在化しているものである。上述した問題点は、放っておいては日本が沈没するものばかりだと思うのである。

私は道路建設を止めれば、上述の問題は直ぐに片付くものばかりだと思うので、私は暫定税率を廃止すべきだと思うし、通常のガソリン税も廃止して、消費税のみにすべきだと思う。民主党も、必要な道路は造ると云うが中途半端だと思う(まぁ、そう言い切れば票が逃げると怖れるのであろうが・・・)。

いずれにせよ、民意を問うて欲しいと思うこと切である。

頑張れ、橋下大阪知事
去る6日、タレントでもあった弁護士橋下氏が大阪知事に就任した。大方の予想通り、民主党推薦の阪大教授をダブルスコアーで破っての当選であった。民主党が推薦した候補をテレビで見て、民主党のセンスと言うか、KY(空気が読めない)さに驚いたのは私だけではなかっただろう。明るさ、元気良さ、何かやってくれそうな気がした橋下氏の当選は当然の結果であったと思う。

皆の期待通り、就任前から彼は意欲的に府庁職員と面談を行い、既に決まっている平成20年度の予算をそのまま実行せず、大幅な見直しを入れて暫定予算を組んだと言う。それが、許されるものかどうか、私は分からないが、法律家としての立場を存分に生かして、新しい風を起こして欲しい。

ただ、先週の金曜日のNHK番組で、遅刻を指摘されて明らかに感情的になった場面があり、翌日の記者会見で、NHKとの絶縁宣言をしてしまったのは不味かったと思う。番組の一部始終を見ていたのでNHKが大阪府知事に対して取った非礼振りは許し難いものであったことは分かっているし、遅刻の経緯を聞いた限りは橋下知事が感情的になることも分からない訳ではないが、やはり、感情的になってはいけなかったと思う。そして今後メディアを利用して府民の理解を深める必要がある大阪府知事として絶縁宣言は非常に損な事をしてしまったと思う。

これから、橋下知事がしようとしている財政再建施策は、府職員や市長が簡単に納得するものではなく、NHK以上の非礼も反発もあるだろう。自分の気に入らない人々、自分の思い通りにならない人々の発言に対して一々感情的になっていては、身も持たないだろうし、ひいては財政再建も失敗に終わるだろう。

高い志を達成すべく、我慢すべきは我慢して、若さの良い面を前面に押し出して、頑張って欲しいと思う。

一方NHKサイドは、その不手際、失言、非礼をもう一度番組を見ながら確認し猛省すべきである。若い知事、そして元タレントと言うことで橋下知事を軽々しく扱った観は免れない。誰の目にも橋下氏を怒らせたことは明らかであったわけであるから、アナウンサーは失言を即謝るべきであった。全く空気が読めていない姿勢態度を貫いてしまったのは、何か意図があったのかも知れないが、視聴者の中には橋下知事の感情変化が気になって討論内容に入っていけなかった人も多かったと思う。折角の番組を壊してしまったように思う。

NHKに出演するのは一つのステータスになるので、NHKサイドは出演者に対して、出演させてやるという立場になっているのかも知れないが、それでは役所の役人根性と同じではないか。国民の支払ったお金で成り立っていることを忘れてはならないと思う。大阪放送局のトップが、アナウンサーを連れて府庁を訪ね、橋下知事に謝りに行くべきだと私は思う。
人類が目指すべき方向は?
世事雑感の更新は久し振りである。コラムというものは、本当に書きたいテーマが心に湧き上がって来なければ一文字も筆が動かないものである。今回は実に約3ヶ月振りの更新になった訳であるが、何故こうなってしまったかと思うに、世の中に問題を感じなかったからではない、むしろ問題だらけであるが、多くの問題を起こしている根本的な問題点を私自身なかなか見付けられなかったからなのだと振り返っている。

最近漸く問題点がおぼろげながら姿を見せ始めたような気がしている。それは、共産主義社会の崩壊に続いて、資本主義社会も行き詰まりつつあるのではないかと言うことである。19世紀から20世紀半ばに仏教者として世界レベルで活躍した鈴木大拙師が、「共産主義も資本主義もいずれはこの世から消え、そんな主義があったかなぁーと言うことになろうが、仏教とキリスト教だけは人類と共に存在し続けるだろう」と言われたことがある。

鈴木大拙師の予告通り、師が亡くなられた23年後にベルリンの壁が崩壊し、そしてソ連共産主義社会の崩壊と続いたのであったが、今度はいよいよ資本主義社会の崩壊が現実のものになるのではないか。そう思わせるのは、イラク戦争を仕掛け、今なお終戦処理が出来ないアメリカのリーダーシップが神通力を失ったように思えることに加えて、資本主義社会と言うものが私たちに幸せな、安らかな生活を与えるものではないのではないかと思わせる日本の現状、そして地球温暖化を含めた世界の現状があるからである。

日本について言えば、昭和30年以降に高度成長し始め、色々な電化製品が発明され、通信手段も、交通手段も目覚しく進化して生活は格段に便利になったが、世の中全体の幸せ感はむしろ減退したのではないかと思う。私は昭和20年生まれの63歳であるからその生き証人だと思っている。

テレビが世の中に出始めたのは私が小学校の4年生頃であり、小学校の校庭にプロレスのテレビ放映を見に行ったことを記憶している。私の家がテレビを購入したのは、私が高校3年生の時、姉達の強い希望によるものであった。電気冷蔵庫も、ほぼ同じ時期ではなかったかと思う。小学校高学年の頃はアイスボックスと言うものがあって、毎朝、氷屋さんが氷を配達してくれて、アイスボックスに氷を入れたのが冷蔵庫であった。幼稚園の頃は、アイスボックスも無かったが、どうしていたのだろうか・・・。

自家用車が珍しくなくなったのは、私が大学生になってからである。お金持ちの友達に車に乗せて貰ったのを覚えている。その頃、自家用車を持っているのは極々お金持ちだけであり、一家に2台の時代が来るなんてことは想像も出来なかった。

また、私が大学を卒業して入社した頃は、職場に冷暖房機器は無かった。夏はうちわを片手に、汗が報告書を濡らさないように、新聞紙を当て紙にして書いたものである。熊本の職場と東京本社との通信手段は電話か郵便のみ。FAXもメールも無く相当の距離感があり、のんびりとした仕事の進み方であったと思う。

上述の如く、世の中は便利になった。しかしそれで私たちに余裕が生まれたことはない。いよいよ気ぜわしく、落ち着きの無い生活になっているように思う。携帯電話、携帯メールが拍車を掛けているといえるだろう。このまま進むと、私たちの人生から余裕と言う時間がなくなってしまい、ストレスからの精神疾患、或いは衝動的な犯罪が増え、やがて人類は滅亡に至る可能性すら懸念される。資本主義社会を無批判に信奉し続けることを止め、本当に安らかな社会とはどんな社会かを考え直す時に来ているのだと思う。

折りしも、中国製冷凍食品に依る中毒が大問題になっている。食生活も私の幼い頃から比べると、格段に贅沢になっていると思う。私の小学生の頃は、カレーライスが誕生会のメイン料理であった。すき焼きなんて、1ヶ月に1回も無かった。夕食のオカズも、1品か2品であった。これからは、少々食の質を落とし、贅沢度を下げて、食の自給度を増した方がよいのではないかと思う。

急には生活の質を落とす訳にはいかないけれど、衣食住すべてに亘って、ある程度昭和30年頃の慎ましやかさを取り戻すべきではないかと思うのだが・・・。