日本社会で生じる様々な事件、事故、トラブル、話題について、古き善き日本の情緒を愛する一人として考察するところをコメントしたいと思います。
自民党の復党問題
昨年の郵政民営化の是非を問う総選挙で民営化に反対し自民党を除名され、無所属で立候補し当選した代議士達が12名居る。その代議士達を自民党に復党させるかさせないかと言う事に関して、自民党の党内外に賛否両論有って問題になっている。

問題になっているが、そもそも私の常識からすると、出発時点から問題だったと思っている。多くの政治課題があって、その中のたった一つの課題に関して反対するからと言って党を除名すると言うのは、如何にも封建的で、自由と民主主義を党名にしている自民党として如何なものかと思っていたものである。また、総選挙をたった一つの課題に賛成か反対かを問うことは、詐欺的行為(その他の課題に関する批判票の入れようがが無いのであるから)であると私は考えていた。

そして、その後の国会の郵政民営化政府案の採決では、反対を表明して当選した代議士達がこぞって賛成に鞍替えしたのには開いた口を閉じることが出来なかった。自民党への復党を切望するあまりの選挙民への裏切り行為であり、信念も何も無い、ただ自分可愛さからの豹変であると思えたからである。

政治家がどれ程信用できないものかは既に明らかであるが、小泉チルドレンと言われる、未だ政界の汚れに染まっていないと思われる者達も、「復党は国民の理解が得られない」と言っているが、次の選挙を意識した、自分可愛さの思慮の浅い意見を言っているだけのようにしか感じられず、私は日本の政治の行く末と、国民の行く末、そして私の行く末が心配でならない。

そんな中で、当選組ではただ一人、信念を貫いているように見受けられるのが、復党待望組の窓口役にもなっている平沼元経済産業相である。しかし彼も政治家である、我が身が可愛いはずであり、最も優位な立場で復党する事しか頭には無いだろう。自民党も12名全員を復党させなければ来年の参議院選挙で過半数割れをする可能性が極めて高く、是が非でも復党させたいに違いない。一方復党待望組は、本当に待望している目当ては、無所属では貰えない政党助成金からの資金割り当て(一人当たり2000万円位あるのではないか)であると言うのが実際のところであり、こちらも是が非でも復党したいはずである。

従って、結果は明らかであって、政党助成金の算定日である来年の元旦の前日、つまり今年の大晦日までには、無事復党が決着されているに違いないのであるが、さて、平沼氏には、どのような御礼が用意されているのであろうか・・・。もし万一、平沼氏の復党が無い場合には、私は彼の信念と勇気をこのブログの元旦号で心から褒め讃えたいと思っているのである。
『勝ち組』と『負け組』
今の日本を象徴する言葉に『勝ち組と負け組』がある。六本木ヒルズに住み、仕事をしている経営者は『勝ち組』の代表と言うことだろう。60億円で売買された松坂投手も、プロ野球界の『勝ち組』であり、且つ世間における『勝ち組』だと云うことになろう。

そして、皆、『勝ち組』になりたくて、また『勝ち組』が羨ましくて仕方が無く、資産価値が大きく目減りして、抜け出す見通しも立たない借金に喘ぐ大方の庶民は『負け組』側に位置付けられる。その『負け組』から、多くの自殺者が吐き出されている、と言うのが日本の現状である。

私もそう言う識別基準から判定すると『負け組』の一人である事は間違いないのであるが、『負け組』の一人として、負け惜しみも込めて一言言っておきたい事がある。これから主張する内容を『負け組』側の人間が言うのは本当に辛いところがあるが、残念ながら『勝ち組』と言われている人間に、そのような主張を期待出来るはずがない故に『負け組』の私が代表して言うしかないのである。

今の日本でそう呼ばれる『勝ち組』は、「世間のトレンドをいち早く嗅ぎ付けて、商品やサービスを提供し、稼げるだけ稼ぐ、世間から集められるだけお金を集めた者」の事である。しかし、『勝ち組』は何れは必ず『負け組』になるのである。それが世の習い、古来からの人間社会の掟である事を忘れてはならない。端的な例と言っては故人に申し訳ないが、ダイエー王国を築き上げた『中内功』氏は、流通革命児と言われ、一度は天下を取った人間である。しかし、今や彼を『勝ち組』と言う人は居ないだろう。今年の正月までは『勝ち組』の先頭を突っ走っていた『ほりえもん』も『村上ファンド』の事も、最早『勝ち組』と呼ぶには大きな『?マーク』が付くはずである。

所詮、死んでも『勝ち組』と言われるのは極めて難しい、いや、お金を稼ぎ出した事を以ってして、それを『勝ち組』と言う限りは、死んでもなお『勝ち組』と賞賛される人は絶対に有り得ないと言ってよい。しかし、死んでもなお『勝ち組』と賞賛されることが無いかと言えば、それはそんなことは無いのである。但し、『勝ち組』の定義を180度近く変える必要がある。即ち、私が『勝ち組』と呼んで欲しいのは、目一杯のお金を世間から集めることではなく、目一杯稼いだお金を目一杯世間の為に、人の為に使った者であって欲しいのである。

お金でなくてもいい、世間の為、社会の為、自分の周りの人々の為に、目一杯の労力を、時間を、心を使った人を『勝ち組』と呼ぶ、そんな日本であって欲しいと思うのである。そして、自分の為だけに、自分の欲望の満足の為だけにお金を目一杯稼いだ者を、お金の麻薬性に負けた『負け組』として、再チャレンジ制によって更生させる日本で有って欲しいのである。

あの世界一の富豪であるマイクロソフトのビルゲイツ氏は、エイズの治療に寄付したり、スマトラ沖地震津波被害に一つの国家以上の義援金を供出したと言う。また、これからは経営の第一線を退き、教育、医療分野での慈善事業に邁進するそうである。それが本当ならば、彼こそが、『勝ち組』の代表の一人だと言えるだろう。
日本の改革
日本政府は、行財政改革、教育改革、憲法改訂など等、改革・改訂と走っているが、本当に改革すべきは、地域社会、家庭の有り方ではないかと思う。いつの世でも、特に明治以降は常に「昔は良かった、今は大変な時代になってしまっている」と言われて来た。戦前の昭和の初期ですら、「この頃の若者は何を考えているか分からない」と言われていたので、大昔の事は知らないが、日本社会は、時代と共に精神的には荒廃し続けて来たのかも知れないと、私は考えて来た。

だから、特に殊更、最近の世情がひどくなったとは言いたくはないのであるが、犯罪の低年齢化・凶悪化、犯罪者が本来なら考えられない職業人(先生、警察官、弁護士、医者、役人)にまで広がっていること、そして親子で殺し合う事がそう珍しい事ではなくなった事を思う時、この荒廃振りは異常ではないかと思わざるを得ないのである。そして自殺者の急増具合、女の子達の無節操と若者達の暴走振りを見るに付け、日本社会はいよいよ崩壊に向けて加速度を付けて坂道を転がり落ちているのではないかと思うようになった。

つらつら考えるに、こうなった一番の原因は、「お母さん方が働きに出始めた事」にあるのではないかと思う。私がサラリーマン時代、私の会社が初めてパートさんを雇い入れたのは昭和52年だったと思う。その頃は、まだパートさんとして働きに出るお母さん方は極めて少なかったと思う。詳細に調べた訳ではないが、多分、日本の企業がパートを雇用し始めたのは、早くて昭和45年位ではないかと思うが、今の様に、半分以上の家庭のお母さん方が働きに出だしたのは、バブル突入前の1985年(昭和60年)頃ではないかと思われる。その頃小学生だった者達は今30代の前半であろう(私の子供が、丁度その年代、但し、私の妻は専業主婦であった)から、それ以後の子供達の殆どは、学校から家に帰っても、お母さんが迎えてくれない環境で育ったはずである。私が小学生の頃(昭和30年前後)は家に帰ったら必ずお母さんが迎えてくれた。お母さんの顔を見てから安心して外に遊びに行ったものである(勿論、宿題は?早く帰って来なさいよ!と言う言葉を背中で聞きながらではあったが・・・)。昭和60年以降は、お母さんが迎えてくれても、或いはそうではなくても、世の中はお金・お金と拝金主義が横行し、特にバブル崩壊後は共稼ぎしなければ生活が成り立たないと言うサラリーマン家庭受難の時代となり、家庭はかつての憩いの場ではなくなり、人間関係における心の通いを大切にする風潮は確実に失われて行った中で、子供達は育って来たはずである。

私は、女性の社会進出を完全に否定するものではないが、せめて、学校にイジメが横行する中学を卒業する頃までは、お母さんが家に居て、子供達を見守る、そんな家庭が日本に帰って来なければ、如何なる改革をしても、日本には永遠に国民にとって幸せな時代は戻って来ないと思うのである。

そのための提言であるが、専業主婦手当の支給であるとか、専業主婦減税など、お母さん方が家に居る気になれる施策を政府は至急に取るべきだと思う。財源が問題だと云うことになろうが、削れる予算は軍事費を初めとして沢山あると思う。教育改革よりも、再チャレンジ制の導入よりも、日本の将来にとって、今の日本政府が一番手掛けなければならない事は、家庭の再構築と地域社会の復活だと思うのである。低賃金の労働力を失う日本企業の国際競争力を危惧する意見等、異論は多分にあるとは思うが、一時期の経済的困難を覚悟してでも、私は家庭の再構築なくして、日本の復活は無いと確信している。
再び核保有論について
核保有論(日本が核兵器を持つか持たないか)は無意味ではないと発言した麻生外相は民主党から罷免を求められるようであるし、中川政調会長も党内外から非難を浴びているが、世論は議論することそのものに反対する人は半数以下のようである(この民意を政治家達はよく分析すべきであると思う)。

現実問題としては、万一核保有すべしと言う国民的合意が出来たとしても、まさか、日本が国際社会に向かって「今から核兵器開発を開始しますので、NPTを脱退します」とは宣言出来る訳が無いので、国益を考えると、引き続き核兵器は持たないと言う結論か、アメリカの核の傘の確かさを求めようと言う結論か、もう一つ、核弾頭ミサイルをほぼ100%防御出来るシステムを早急に開発すると言う結論に導かれるのではないかと思う。

ただ、私はこのままアメリカの核の傘の下に居る限り、北朝鮮が言うように、日本はアメリカの一つの州でしかない状況が続き、子々孫々、アメリカの属国としてアメリカに支配し続けられるのかと思う時、それでもやはり、非核三原則を国是として守り続け、独立国家としてのプライドを捨て、中国にもアメリカにも頭が上がらず、韓国にも北朝鮮にも弱腰の外交を続けるのか、と、釈然としない想いが消えないのである。

一番望ましいことは、核兵器も持たず、アメリカの核の傘の下からも抜け出し、核廃絶を訴える国でありたいと言うのが私の理想である。しかしそれは専守防衛能力が他国の追随を許さない程度にならなければ為しえないことであろうから、精々、その事に日本国民の知恵・技術を結集したいものであるが、先ずはその可能性を専門家達に聞いてみたいものである。