日本社会で生じる様々な事件、事故、トラブル、話題について、古き善き日本の情緒を愛する一人として考察するところをコメントしたいと思います。
東国原知事問題
芸人出身の東国原知事が自民党総裁候補を前提として国政に参加すると云うのがマスコミを賑わす問題となっている。問題と云う表現は失礼かも知れない。アメリカでは既に州知事が何人か大統領に転進しているし、こと芸人出身者ではどうかと云うことになると、アメリカではシュワルツネッカーカルフォニア知事も生まれているし、少し前にはなるが国家を代表する大統領にも元ハリウッド俳優のレーガン大統領が生まれており、決して歴代の大統領よりも劣ると云う評価は見当たらないと云うのも事実であるからだ。

私は東国原知事を「そのまんま東」と云うタケシ軍団のタレントとして、一時少女買春事件を起こして話題になったこと位でしか知らない。彼が大学で政治学を学んだことは知っているし、宮崎の名産を全国的なブランドに仕立て上げた力は認めるが、彼の行政面の能力は全く把握出来ていないので、彼が自民党の総裁に名乗り出たことの是非を論評は出来ない。ただ、今日のテレビ番組で、なかにし礼氏が彼を芸人として蔑み、「彼の様な芸人上がりの人間が日本の総理に名乗り出る現在の日本を情けないと思う」と云うコメントを披露していたことには、少し抵抗を感じた。少しと云うのは、若干なかにし礼氏の心情も理解は出来るからであるが、何も彼を名指しで批判する前に批判すべき政治家達が沢山居るではないかと思うからである。

国民の中で少し人気を得ただけで日本国家のトップに名乗りを上げられる、そんな国家になってしまったのかと云うなかにし礼氏の気持ちは分からないでもない。今の日本なら、キムタクや藤原紀香も自民党の要職に就けるかも知れない状況にあるだろう。マリナーズのイチローなら、即総理になれるかも知れない。

確かに国民の意識は低いと思う。そしてそれ自体が問題だと云うことも分かる。でも、今の政治家達、特に自民党の幹部達を見回した時に、東国原知事よりも明らかに人物的にも、国家観においても秀でていると云う人物が居るかと言えば居ない。それが悲しいではないかと思う。

東国原知事の問題は、もうかなり前からこの日本に顕れている日本凋落を再認識させる象徴的な問題なのであって東国原知事を問題視するのが可笑しいのであって、東国原知事の名乗りを一蹴した自民党幹部と議員自身達自身が既に日本をアホらしい国家に成り下げていることに気が付かない方が余程悲しいことではないかと思う。
鳩山総務大臣の男気?
日本郵政株式会社の西川社長の続投に異議を唱えていた鳩山大臣が、昨日辞任した。「今の政治は正しいことが通らない」と云う無念の言葉を残して盟友麻生総理のもとを去った。表面的に捉えると、男らしい去り際であるが、あまり爽やかな男らしさを感じられないのは何故だろうかと考えた。

それは必ずしも鳩山氏の判断が正しかったとは言えないと云うことと、過去の度重なる失言(友達の友達がアルカイダですと云う失言、スマップの草薙剛君への最低人間発言等)や、新自由クラブ→新進党→自民党→民主党→東京都知事選出馬→自民党と云う政治経歴上の節操の無さも影響しているのではないだろうか。

更に、今の政治の案件として、日本郵政株式会社の社長人事が、大臣を罷免されてでも信念を貫かねばならない重要問題であったとは思えないからだとも思う。

記者の「離党を考えているのか?」と云うことに対して、即「仲間と相談する」と答えていたが、思わせぶりで不穏当・不適切な受け答えであり、日本の政治のレベルを露呈した一件であったなと思う。

考えてみると、互いに相手の敵失だけで、政党支持率や内閣支持率が上下する与党第一党と野党第一党の現状を見ると、「政権交代させてもあまり期待出来そうにない。しかし、ここは政権交代でもさせてみるしかないかぁ・・・」と思うしかない国民は実に不幸である。
国会議員の世襲について
衆議院総選挙を前にして、国会議員の世襲が問題になっている。国民が問題提起したのではなく、当の国会議員達からの問題提起であるところが意味深である。
多分、小泉さん親子の世襲と、歴代首相に世襲議員が多いことと、世襲議員である安倍首相、福田首相が相次いで1年で政権を投げ出す形となったことが発端であろう。
どうやら、自民党は既に次男への世襲を公に宣言した小泉氏への配慮もあって、今年の総選挙では世襲容認の方向のようである。

しかし、世間を見渡すと一般社会では世襲は堂々と行われているにも関わらず余り問題視されていない。世襲は企業経営者においても、宗教法人の教祖でもよくあることである。そもそも日本社会は世襲社会であった。平家、源氏、北条家、足利家、徳川家の将軍は世襲であったし、今も天皇は世襲だ(世襲に値打ちがあるから問題にされないのだろう)。

考えてみると、世襲=封建社会と言えるかも知れない。権力が絶大であるから権力と財力を世襲出来たということであり、別に世襲が認められていたと云うことではないだろう。

国民の支払う税金から国会議員の歳費が出ていることを考えれば、民主主義社会での政治家の世襲は、仕事を選ぶ上での機会均等性から外れており、好ましいことではないと言えるだろう。
問題は、今の国会議員の世襲比率は33%,この数字は衆議院で多数を占める自民党議員の世襲比率に引っ張られているので、権力サイドに立っている側の世襲比率が高いことが問題なのである。

考えてみれば、プロ野球選手や相撲取りの世界は実力勝負の世界であるからか、世襲は稀れである。あの超一流の長嶋選手と野村選手の息子達は、一応プロ野球選手として登録されたが、どんなに優遇されても、結局はスターを世襲出来なかった。相撲界のスターだった先代貴乃花の息子達である若貴兄弟の横綱昇進は世襲の恩恵ではなくて本人の努力以外のなにものでもないだろう。

それに比べると、世襲比率の高い国会議員の場合は、実力ではなく、地盤・看板・かばんを引き継いだ恩恵に依ると考えざるを得ないと思うので、やはり、これまでの世襲容認は見直されるべきであろう。裕福な家庭に育ち、何の苦労もなく国会議員になった総理大臣や国務大臣に国民目線の政治が出来るはずがないと思う。
思い込みの怖さー中央大学教授殺害事件に思う
今年1月中央大学キャンパス内で起きた教授殺害事件は、教え子の逮捕と云う残念な結末を迎えた。動機は明らかにされていないが、殺害を認めているので間違いはないだろう。

殺害された高窪教授は優しい人柄だったと言うのが教え子達総じての評価である。恐らくは、容疑者にも同じように接していたと思われる。多分、大学卒業して就職する企業を決めるに当たっても教授に相談して決まっていたものと思うし、その企業を辞める際、そして少なくとも第一回目の再就職に際しても相談していた可能性は高いと思う。

大学卒業して就職する時、文科系では殆ど自分が就職先を選び、教授の世話にならないと思うが、理工科系学部の場合、教授から企業を勧められているのではないかと思う。少なくとも私たちの時代はそうであった。私も教授からの勧めである化学会社に就職し、2年半して退職する際にも教授に相談し、教授の研究室に大学職員として戻して貰い、1年半後には、神戸の会社を条件に教授にお願いして就職先が決まったものである。私の場合は、教授に仲人まで依頼した程、理工学系では教授との関係は文科系に比べると深いのだと思う。

私立と国立では多少は事情が異なるのかも知れないが、殺害された教授は、むしろ面倒見が良かったのではないかと思う。親身になり過ぎたことが逆に仇になった可能性を私は感じる。彼自身がノートに、自己のコミュニケーション力不足を認識し、直さなければならないと自己分析していたようであるが、それを教授からも指導されていたのではないかと思う。人間は自己分析して認識している自分の欠点も、他人から指摘された場合、「やっぱりそうか、なおさねば!」とはならない場合もあるのではないかと思う。

同期生達が容疑者のことを思い込みの激しい人物だったと云う気になる報道がある。でも、思い込みは人間の特性である。多少の程度の差はあるかも知れないが、私たちは皆思い込みで生活しているようなものである。むしろ、思い込みでこの世を地獄だと思って苦しんでいるのが私たちだと言っても過言ではないのである。

先ほど、ニュースで北朝鮮が地下核実験を行なったと言う報道があったが、北朝鮮もアメリカや日本の西側諸国の考えを思い込みで判断して、必要の無い自己防衛に走っているのだと思う。そして更に自己防衛に走り、いよいよ孤立して行くと云う引き返しの効かない状況になっているのだと思う。これは私たちが日常生活で経験する人間関係にも多分に起こっている事である。

そして残念ながら、人間にしか与えられていないコミュニケーション力を生かせないまま、最悪の武力の行使に至ると言うのがこれまでの人類の歴史である。そして、この人類の愚かさに気付かない限りは、今回の北朝鮮も同じ結末を向かえざるを得ないのではないかと思うが、最後は人間個人が抱く自己愛の働き、つまり自分の命惜しさ、自分の家族の命惜しさに金正日が国際社会と妥協することになるのだろうと思う。彼には自分の命と引き換えにして守るべき何も無いはずだからである。そういう人間の抱える特性を分析して、日本もアメリカもいい加減に結末に向けて、国連の決議を纏めるべきだと思う。


中央大学教授殺害にしても、北朝鮮の行動にしても、そして今の日本で毎日起こる事件や政界の抗争にしても、すべては人間の特性である思い込みから起こっていることである。こう云う私の意見も思い込みに違いないが、自分の見解が思い込みかも知れないと立ち止って考える余裕を常に持っておきたいものである。

成功の秘訣
昔から「失敗は成功のもと」と言われているが、これはやはり真理ではないかと思う。

今年のWBCでは、ずっと打撃不振であったイチロー選手が決勝戦で、決勝の2打点タイムリーヒットを放った。大事な場面でのバント失敗には、「心が折れそうになった」と述懐していたが、自他共に認めている一流打者故に、苦悩は深かっただろうと思う。その苦しんだ挙句の快打だった。

優勝インタビューで、「一つの壁を乗り越えたと思う」と云う彼の言葉は真実だと思う。私は彼が4割バッターになるとしたら、試練を乗り越えてホヤホヤの今シーズンしかないと思う。否、必ずやってくれると思う。

彼はこれまで自分自身との戦いには勝って来た。人にどう思われようと構わない、わが道を行くと言う天才の歩む道を歩いて来たと思うが、侍魂を持つ彼は、約半年前の北京の日本惨敗を我が敗北の如く感じ、初めて自分の為と云うよりも、日本の為にと云う気持ちを強く抱いてWBCに望んだのだと思う。
日本国民も彼に期待し、チームメートも彼をリーダーとして期待し、信頼を一身に集めて臨んだWBCだったに違い無い。

そして、その重圧に苦しむ自分とイチロー選手は初めて自分の真実に対面したのではないかと思う。
しかし、さすがに大リーグのスターである。皆が期待する結果が出ない場面・場面で、彼の表情は変わらなかった。否、変えられない最後のプライドが彼に有ったのではないかと思う。そのプライドとは自信でもある。しかし、その自信も失いかねない場面が、あのバント失敗の瞬間だったのではないか。

イチロー選手程でなくとも、男なら自分はこれで終わりではないかと思う場面に遭遇するものである。最後の最後の自信を失う時である。
先日、浅田真央さんが、世界選手権でノーメダルと云う屈辱を味わったが、私は、彼女故に与えられた、バンクーバーオリンピックで金メダルを獲得出来るための試練だったに違いないと思っている。ライバルの金選手と20点と云う大差がむしろ良かったと云うことになるのではないか。

失敗と屈辱は成功と栄誉の産みの親である。反面、栄光と有頂天は、堕落の始まりであろう。